音楽を愛する若者たちを支援する目的で企画された学生たちの合唱コンクール「はこね学生音楽祭」が箱根町および箱根町観光協会共催としてスタートしたのは、平成13(2001)年である。審査員には、服部克久氏、新美徳英氏、木下牧子氏、新保公子氏など高名な先生を迎え、多くの応募の中から第一次テープ審査を通った12グループが舞台に上がった。「課題曲は『箱根八里』。ただし、編曲可」だけをキーポイントに、演出自由、踊りあってもよし、ミュージカル仕立てでもよし、という従来の合唱コンクールとは違った形の「合唱祭」は大きな注目を浴び、(社)全日本合唱連盟創立60周年記念祭典において感謝状が贈られた。また、2003年度毎日・地方自治体賞も受賞するなど、高い評価を受けていたが、残念ながら平成22(2010)年、10回を最後に終了した。
この知らせを聞いて立ち上がったのは、京都大学の学生たちだった。これまで舞台で戦ってきた東京大学や早稲田大学などのグループに声をかけ、平成21(2011)年春に、東京駅近くのビルの一室で会議を開いた。誰もが「『はこね学生音楽祭』は自分たちにとって、大事な音楽祭だった」「いただいた支援金でいろいろ活動の幅が広がった」「終わるのはとても残念」と口々に声を上げ、「何とか今年も箱根で歌いたい」という要望が、この音楽祭を企画立案をし、総合プロデューサーを務めていた私に寄せられた。
学生たちの気持ちを、私が勤めていた学校の当時のご父兄でもあった仙石原の勝俣悦郎さんにお話したところ、「若者たちの歌声が町に元気を与えてくれていた。ぜひとも応援していきたい」と、地元の方と一緒に町に強く働きかけてくださって、その年の秋、学生たちが結成した実行委員会主催で「学生たちの新たなスタート はこね学生音楽祭2011」が開催された。服部氏、新美氏、新保氏も引き続き快く審査員を引き受けてくれたが、実行委員たちは、関西、関東など地域も学校も違い、開催までこぎつけるには容易なことではなかった。また、町主催時には、役場の職員、箱根町観光協会員、宿のご主人、地元企業の方たちから構成されていた実行委員会が運営に携わっていたわけだが、彼らが慣れない箱根で地元の人と直接関わりあうのは初めてで、失敗もいろいろあり、第一回実行委員長の薮崎友誉さんは、たびたび大粒の涙を流していた。それから今年で9回目。当初、実行委員を務めていた学生たちは社会人となり、現在の実行委員会は、OB・OGと現役学生たちにより構成されている。新しく審査員に加わってくださった渡辺俊幸氏や町主催時から音楽祭に携わってきた福住治彦さん、上妻信夫さんをはじめ、箱根町の職員、仙石原商店会、「コーラスひめしゃら」、「箱根ソーラン座」、地元施設・企業、ボランティアの皆さんたちの変わらない協力を得ているが、言うまでもなく開催費は厳しい。彼らは、宿泊代、交通費、参加費を払って、いわば手弁当で開催を続けているのだ。また、町主催時の実行委員会は、広く寄付を募って最優秀賞受賞グループに100万円の活動支援金を贈っていたが、彼らはそれに倣って少ない予算の中か金賞に30万円を捻出している。
「その30万円は、一グループにあげるのではなく、参加グループ全体の交通費や実行委員会の運営費にしたらどうなのだろう」と彼らに話したことがある。しかし、「あの支援金は本当に嬉しかった。自分たちも優勝したグループを讃えたい」と譲らない。また、「歌う場所は箱根ではなくてもよいのではないか」と敢えて聞いたこともある。これも「いや、“箱根”で歌いたいんです」と譲らない。
同音楽祭は約20年という歴史を刻みつつある。現在、音楽祭に出場している学生たちは、スタート当初はまだ生まれる前か幼稚園生だったわけだが、彼らは町主催時の伝統を基盤に、毎回新しい取り組みを展開しながら、爽やかな風を箱根に吹き込んでいる。
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