箱根登山ケーブルカーの車窓から見える雰囲気ある古民家の庭に建つ白い建物。写真家・遠藤桂さん(昭和33・1958年3月15日~)が館長を務める「箱根写真美術館」だ。入口までの小径に置かれたかわいい置き物や小さな中庭の白いテーブルと椅子などが醸し出す童話の世界にも似た空気感は、訪れる人たちを館内へと優しくいざなう。桂さんの祖父・山田應水(やまだ・おうすい)さん、父・遠藤貫一さんともに写真家であり、桂さんは写真家として三代目になる。
明治生まれの應水さんは東京・神田で写真館を開いており、当時、国内では数少なかった風景写真家として活躍していた。同じく神田の別の写真館で修業していた貫一さんは、應水さんの娘・恭子さんと知り合い結婚。そして、箱根小涌園の創業時に、藤田観光の初代社長・小川栄一氏から應水さんに同ホテルの写真部での仕事の依頼が来た。山岳や高山植物なども撮影し、山登りが好きだった應水さんは快諾し、貫一さんともども、箱根写真美術館が建つこの地に移り住んだという。
桂さんは三人兄弟。長男である自分が家業を継がなければいけないなと考えていた桂さんは、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)に進学。
「しかし、家業をそのまま継ぐのではなく自分なりの写真のあり方を見つけたいと考え、卒業と同時に、まずは世界で一番高い山をこの目で見たくて、ヒマラヤ・アイランドピークに冬季遠征登山をしました。子供の頃から山登りは好きでしたしね。幼い頃、父が八ヶ岳や上高地、西穂高岳などに連れて行ってくれたことが記憶に残っています。
といって、冬季のヒマラヤですからね。親には『行くなら勘当だ』と言われたのですが、バイトをして資金を貯めて決行しました。いろいろ困難なことにぶつかりましたが、この経験で分かったことは、“生きるということ”、それは、“自分を信じて一歩一歩進んでいくこと、そして諦めない”ということです」。
帰国後、すぐに初個展を開催。次にアメリカの大きさを体感すべく大陸横断に挑戦しようと考えた。同時に、撮影技術を身につけ、プロとして活動するため広告写真の世界に入ることにし、車が好きだった桂さんは、トヨタ車のカタログ撮影などを手がけていた著名な広告写真家トシ・ワカバヤシさんに直接電話をして弟子入りをした。
その後、27歳で独立。都内に事務所を構え、コマーシャルの世界で活躍する日々が続いていたが、平成14(2002)年に故郷の強羅に「箱根写真美術館」を設立。この美術館を拠点に、国内外の写真家の企画展や初心者やプロを目指す人たちに向けての写真教室を開催したり、パリをはじめ国内外で数多くの個展を開くなど、桂さんの活動の幅はさらに多角的に広がっているが、ライフワークとしている富士山の撮影は変わることはない。
山登りが好きな桂さんは、東京でコマーシャルの仕事をしていた時にも海外ロケ時には、オーストラリアのブルーマウンテンやアメリカのヨセミテなどに登っていた。
「30代の頃でしたか、ヨセミテで大判カメラを使って撮影していると、外国人に『和製アンセル・アダムス(ヨセミテのモノクロ写真で有名)』というような声をかけられたんです。その言葉に、日本人がアメリカの風景を撮影していても真似事と取られるかもしれないな、世界に通用する作品を作らなくては、と思い、毎日行ける場所にある日本一の山・富士山を撮影し続けようと決めたんです」。
桂さんは現在、箱根の文化財や祭事、風景の撮影にも取り組んでいる。
「時の流れのなかですべてのものはどんどん変化していきます。それらを次世代に残すためには写真として保存しておくことが大事だと考えています。また、この美術館には、海外からも多くのお客様が来ますので、それらの写真を展示することによって皆さんに箱根を知ってもらう。海外に向けても広く箱根を発信していくことも大きな役目の一つです」。
箱根の自然のなかで自由に魂を遊ばせながら、桂さんの作品作り、活動は続いていく。
【箱根写真美術館】
■〒250-0408神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-432
■電話:0460‐82‐2717
■アクセス:箱根登山鉄道「強羅駅」から箱根登山ケーブルカー「公園下」駅下車徒歩1分。
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