江戸末期以降、箱根旧街道沿いの山間の村・畑宿には、箱根寄木細工を生業とする家々が立ち並んでいた。しかし、第二次世界大戦以後、それは次第に衰退していった。昭和45(1970)年、技術が途絶えることを惜しんだ先達が、土地の若者を集めて講習会を開いた。参加した若者は12名。その一人が金指勝悦さん(昭和15・1940年5月26日~)だった。畑宿生まれだったにもかかわらず、金指さんが寄木細工作りを体験したのは、その時が初めてだった。
「伝統に育まれた寄木の面白さ、自然の木の色の美しさにたちまちのうちに虜になってしまって」。
金指さんは、小田原の高校を卒業後、機械関係の会社に入ったがどこか馴染めず、やはり、子どもの頃から知っている木の世界で仕事をしようと、父・喜久次さんが勤めていた親戚が経営している木工所に住み込んだ。その後、喜久次さんと独立し、その会社の下請けとしてキャビネット作りに励んでいた時に、寄木細工の体験に出合ったのだ。“これこそ自分の天職”と感じた金指さんは、「寄木細工ではメシは食えないから、皆、他のものづくりに行ったよ」という親方をはじめ周囲の反対を押し切って、迷わずこの世界に飛び込んだ。「それで食えたら畑宿を逆立ちで歩いてやる、と父からも言われましたよ(笑)」。
箱根寄木細工の伝統的な技法は、寄せた材料を0.15ミリという薄さに削って木の表面に貼る「ズク」と呼ばれる方法が主だが、金指さんは、材料をそのまま削り出して作る「無垢(ムク)」というもう一つの技法を自分なりに完成させた。当時の時代の流れも味方し、作品は次々に売れて、「食べて行けるだろうか」という当初の心配は杞憂に終わった。そして、斬新なデザインは高い評価を受け、数々の賞を受賞。昭和58(1983)年には地元の職人さんとともに、小田原箱根伝統寄木協同組合を結成した。その翌年には、箱根寄木細工は国の伝統工芸品に指定され、寄木細工の里・畑宿に再び灯火が蘇った。
「仕事がとにかく楽しい。寄木にはまだ可能性がいっぱいあります。もう少し木で遊びながら面白いことをやってみたい」と語る金指さんは、平成9(1997)年から箱根駅伝往路優勝のトロフィー制作もしてきた。
「身体にガタが来てあと何年できるかな、というところですが箱根駅伝のトロフィーは、第100回大会まで作りたいですね」。
今年(2019年)79歳を迎えた金指さんの創作意欲は衰えることなく、全国の木のクラフトコンペにも積極的に出品。中国やドイツでも展示即売会を開くなど、箱根寄木細工の普及にも力を尽くしている。また、平成29(2017)年には、図面なしで作られる工芸品の歴史を残すために、これまでの作品や往時の畑宿の古写真などを展示する「金指寄木展示場」をオープンした。
「昔の畑宿には、寄木の材料の木材を干している様子があちらこちらに見られました。若い世代がどんどん伝統を引き継いでくれて、その懐かしい風景が復活することを願っています」。
【金指ウッドクラフト販売店】
■〒250‐0314神奈川県足柄下郡箱根町畑宿180-1
■電話:0460-85-8477
■アクセス:箱根湯本駅から箱根登山バス(T路線)で約15分「畑宿」下車すぐ。
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